『お母さん、熱がある!!』
娘の一言から日常の全てが変わっていきました。
感染予防はしっかり実践していたし、インフルエンザに子供がかかっても無縁で、コロナウイルスも大丈夫だろうと心の何処かで安易に思っていた。
そんな私を襲った辛い日々。
時も止まっていた陽性と陰性の狭間の日々を書きます。
発症から受診拒否
4月の月曜の朝、娘の出勤前のこと。
娘は37度4分の熱があり有給を取る。
たんなる風邪か、それともコロナウイルスになってしまったのか…
娘は格別に気を遣っていて、友人からの飲み会の誘いも断っていたほど。
もしコロナなら何故?と疑問がわいたが、1週間前に人混みに出たのを思い出し
『まさか、あれで? 手指消毒のハンドジェルも持たせたのに…』私の不安は募った。
取り敢えずコロナウイルスの記事を読みなおす。
カロナールが良いらしいので、作年末に風邪を引いたとき処方されたカロナールを娘に飲ませた。
翌日、緊急事態宣言が出る。
この日も娘の熱は下がらず、さらに私も37度の熱が出た。
『えっ!! 潜伏期間は?こんなに早くうつるの?』頭が混乱する。
熱があっても体は楽だったので普通に家事をすませると、だんだん辛くなってきた。
頭を押し付けられてる様な痛み。熱は37度2分。
何とか昼食を作り午後は横に。
夜になると熱は下がり起きて夕食の準備。
このルーティーンは、それ以降ずっと続く。
翌日も11時頃から熱が高くなり、
『もしコロナだとしても、80%は軽症で1週間で治癒。辛いのも我慢しよう』
そう自分に言い聞かせた。
症状としては微熱(朝から37度をこえ)、喉から胸にかけての焼けるような痛み、胸を圧迫する痛み、立ってられない倦怠感、頭を押し付けられるよう痛み、動悸、頻脈、頭痛、咽頭痛、鼻のつまり、胃痛、腹痛、左足親指先(赤くはれる)の痛み、そして過去の怪我の部分の痛みが順番に出てきた。
私より症状が重かった娘は1週間で軽快。
私は更に症状が悪化していった。
2週目は家事をするのも辛く、ひたすら横になっていたかった。
カロナールも少なくなり、かかりつけ医Aに電話するも
『心配だね、保健所に電話して』
と受診拒否をされ、何十回もかけてる電話番号を伝えられて電話が切れた。
『センターより保健所の方が電話がかかりやすい』医師から唯一得られた情報を信じて保健所にフラフラしながら電話をかけ続けやっと繋がった。が、救いの手は差し伸べられなかった。
八方塞がりの状況に耐えられなくなり、娘の入浴中に長期出張中の主人に泣きながら電話。
心配した主人がカロナールと風邪薬などを往復数時間かけて持ってきて、玄関前に置きそのまま帰って行った。
毎日熱の低い朝に最低限の家事をする以外は横になっていたが、昼間は全く眠れず、夜も寝ても二~三時間で目が覚めた。
体の何か(神経?)を刺激され、全身が反応してハッと目が覚める。その後はなんとか眠ろうと、ひたすら目をつぶり羊の数を数えていた。
寝しなには金縛りにもよくあっていた。
闇は不安な気持ちを増大させる。
胸が苦しいと、もしかしたらこのまま急激に悪化して入院かもしれない。
最悪は……
イヤイヤ、咳はそんなに出ないから大丈夫と自分に言い聞かせたが、万が一の場合に備えて 家の全ての流れ、銀行保険関係、連絡してほしい人などを書いた申し送り書を体調の良いときに書いておいた。
遺書も書こうと思ったが、こちらは泣きそうになり書けなかった。
オンライン診療からレントゲン検査
2週間しても症状は変わらず、むしろ悪化していった。
主人からも勧められB医院でオンライン診療を受診。
『コロナウイルスかもしれないし、他の感染症かもしれない』
『見たところ呼吸は苦しくないようなので、肺炎ではないようです』
アセトアミノフェン、トラネキサムサン、ミヤBM、レパミド、ルネスタを処方される。
ルネスタは夜中に目覚めて飲むと又数時間は眠れるので、夜中の不安から解放され本当に助かった。
コロナウイルスが血栓を引き起こし脳梗塞で死亡するとの記事を読み、父方も母方も脳梗塞の家系なので怖くなり、2回目のオンライン診療のときにトラネキサムサンを漢方薬桔梗湯に変えてもらう。
4月の末に再度保健所に電話。以前とは対応が違い、レントゲンを撮り その結果でPCR検査を受けることになる。
『指定時間丁度に行ってください。早いことも遅れることもなくお願いします』
その言葉通りに指定されたCクリニックの裏口に行くと、前の人が遅れて診療を始めたところだった。
開け放たれたドアからはその人の咳がずっと聞こえてくる。
2メートルほど離れた裏口外に椅子を置いてくれたが、そこに座る気にはなれない。
そのまま帰ろうとも思ったが、せっかく来たのだからと近辺をウロウロして待つ。
20数日ぶりの外の世界は気持ち良かった。
太陽もまぶしく季節が変わっていた。
そしてやっと診察、完全防護服の医師は
『肺はきれいだし、酸素濃度も99。コロナの可能性はほぼないのでPCR検査も必要ないです』
コロナでないと言われ、ホッとしたのも一瞬。
今度は私の前に診察された人から感染するのではないかとの新たな心配が生じる。
このことはトラウマとなって今の私にも重くのしかかっている。
家に帰って調べるとレントゲンで肺が綺麗でも体操のお兄さんの様に、コロナウイルスに感染してる人もいる。
C医師はコロナではないと言ったけど、いったいこの記事は何?大量に処方されたこの薬を飲んで良いのか?
感染の心配に疑問まで加わり頭がパニックに。
抗生剤などの処方された薬は飲んだが、2日ほどすると吐き気がしたのでやめ、元の薬(胃腸の薬と喉の漢方薬と熱が出て辛いときだけアセトアミノフェン)を飲む。
Cクリニックでの薬はセフカペンピボキシル塩酸塩、カルボステイン、ピーエイ配合、ミヤBM、レパミピド、カロナール
PCR診査と血液検査
そのC医師から1週間後に保健所か当院に連絡を下さいと言われたが、C医師に連絡する気にはなれず、悩んだが10日ほどして保健所に連絡。
保健所の担当者の冷たい対応に耐えながら、1ヶ月以上経つのにまだ微熱が続き更に高くなっていること、いっこうに回復する兆しがないことを話す。
『折り返し連絡します』
と電話が終わり、折り返しの連絡で PCR検査を受けられることになった。
『陽性でしたら入院かホテル療養となりますが病院もホテルも選べません。こちらから指定した所に入っていただきます』
保健所に何回か電話をしたが、担当者によって対応の違いが本当にある。
この日の対応は検査が出来なかったら、心が折れていたと思う。
検査当日、出かける前に熱を計ったら37度8分。
検査場所では検温はなかったが、酸素濃度は『94』。
深呼吸をしても上がらず『苦しくなったら救急車を呼んで下さいね』と言われ帰宅。
高熱や酸素濃度からもう入院しかないと観念し、入院準備をし娘に申し送り書を渡して保健所からの連絡を待つ。
翌日の夕方、陰性の連絡があった。
心底ほっとするも体調は良くならず、逆に『陰性だろうが関係ない』と嘲笑うかのごとく熱は上がり倦怠感で起き上がれなかった。
その後も微熱は下がらず、B医院で三度目のオンライン診療、PCR検査の結果を話し血液検査を受けることになりB医院に行く。
C医院でのトラウマがあり、病院に行くのを躊躇する気持ちもあったが『このままでは先に進めない』と受診。
血液検査の結果は異常なし
『肝臓、腎臓、甲状腺、ウイルス性炎症も問題ない』
とのこと。
あとから血栓を調べるDダイマーの検査もすると良いと知ったが、後の祭りだった。
その後から現在
PCR検査も陰性(今から思うと発症から1ヶ月以上経ってるので陽性が出る可能性は少ない)
血液検査もウイルス感染の症状は出てない。
この2つの結果は私に安心感を持たせてくれた。
それからは散歩に出掛けたり軽いヨガをやるようになる。
微熱も38度の体温なのに熱感が全くなく そのまま10分間実測をしたら37度に下がったことで、それ以降は実測で計ることにした。
結果、36度9分や8分の日も多くなる。
発症から2ヶ月、薬もなくなってきたのでオンライン受診。
この時点で飲んでた薬はレパミドとミヤBM.と桔梗湯。
夜中に目が覚めることがなくなり睡眠薬はつかってなかった。
『いつまで微熱が続くのでしょう?』
と私が問いかけると、
B医師は
『長い人だと1ヶ月…(ここで私のカルテを確認した模様)…もしくは2ヶ月以上かかることもあります。微熱は体が辛くなければ、何の問題もありません』
B医師からのこの微熱の言葉は本当にありがたく、心のささえになった。
思い起こすと1週間で治らず、その後10日、2週間、半月、1ヶ月、40日、 50日… この日までには治りたいと希望を託した日々はもろくも過ぎていき、その度に絶望感に襲われていた。が、微熱を気にしないようになると気持ちも軽くなっていった。
徐々に体の一部分の火照りや 疲労感、咽頭痛、頭痛、倦怠感などは少なくなる(4ヶ月たった今でも出ることはあり)
特に咽頭痛は梅雨時はなかったが、8月になると多くなった。
本当は耳鼻咽喉科に行くべきだが、トラウマで行くのを躊躇。
体温調整がうまく出来なくなっており、寒いと思って上着を着ると急に暑くなって又上着を脱ぐの繰り返しを日に何回もしてる。
些細なこと事が心配でたまらなくなったり、メンタルのダメージからは回復してない。
更にあの辛さをまた繰り返したくないと再感染が怖くて引きこもりに近い状態にあり、今は引きこもりからの脱却が私の課題になっている。